ROBOBO’s 読書記録

読んだ本の感想です。

橘玲『無理ゲー社会』_感想

 

きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)をたった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ。

知能と努力で成功できる社会

誰もがそこそこに生きて、そこそこに幸せになりたいと思い、子ども達にも当然のように大学までの教育を受けさせて「あなたらしさ」を大切にしなさい、と教えているのが私たちです。それは生まれや人種や性別で人生を決められることがなく、自分の知能と努力次第でなりたい自分になれる社会だと信じているからです。

一方で、人生に失望して死にたいと望む人が思いもよらない事件をおこす報道を頻繁に目にするようになりました。先日の、大学入学共通テストの朝に東大前で17歳の高校生が受験生を切りつけた事件は衝撃的でした。高校生は「自分も死のうと思った」と言っているようですが、本当の死はもっと孤独で静かに進みます。高校生は事件を起こすことで何かに気づいてほしかったのだろうと胸が痛くなりました。

著者は、知能と努力で自分らしく生きていけるという社会が、若者を追い詰めていると警告しています。それは逆転不可能な無理ゲーなのだと。

誰もが「自分らしく」生きる社会では、社会のつながりは弱くなり、わたしたちは「ばらばら」になっていくのだ。

画一的で個々の自由がなかった社会では「自分らしさ」を見つけることは自由の謳歌や個人としての成熟を約束したかもしれませんが、多様化が進み、人と違っていることが当たり前になった現代では、「自分らしく」あることが陳腐化しているようです。

努力をしたけど、無理だった。ということを身に染みて知ってしまったとき、誰のせいにもできず逃げ場のない「無理ゲー」社会を生き続けることになるのです。

子どもたちは溢れる夢の洪水に溺れそうだ、と著者は言います。

持つ人はたくさん持ち、持たない人は少ししか持たない 

そんなわけで、社会の二分化がますます進み上流国民と下流国民に分かれる、というのが著者の考えです。

本書の中には、その解決策もいくつか提示されていますが、富の再配分という観点ではベーシックインカムや富裕税を導入したとしても、人々の評判までを再配分することは不可能なため、結局は富ではない(もっと過酷な)ものの分断が起こると警告します。

本書の後半では、テクノロジーの進歩によって、こうした問題が解決可能かもしれない、という提示がされています。それは、たいそうSF的な響きの提案ですが、案外、近い将来に実現しているかもしれないと思いました。

ばらばらになったものは、別の形でまた一つになるのかもしれません。そうなると、もう「自分らしさ」は必要なく、本当の意味で何者でもない自分に解放されるのかもしれませんね。それは十分に豊かで安全で苦悩のないディストピアな社会の到来です。

納得もしつつ、少し心がざわつく読了でした。

 

2022年1月17日 読了