ROBOBO’s 読書記録

読んだ本の感想です。

名越康文『どうせ死ぬのになぜ生きるのか 晴れやかな日々を送るための仏教心理学講義』_感想

 

最強の心理学としての仏教

その強インパクトのタイトルに惹かれて思わず手に取ってしまった書籍です。仏教心理学講義とありますが、著者は精神科医。自身の職業上の悩みや迷いの中で東洋思想や瞑想に出会い、40代後半から本格的に仏教を学び実践を始めたという方です。

これまで仏教というのは、宗教の一つとしか思っていませんでしたが、本書を読むにつれて、それが心理学や哲学とも似通った学問の一つなのだと認識を改めました。世界には様々な宗教があり、それぞれが豊かな世界観や生死観を持ち、人々の精神を支える拠り所となっていますが、仏教が他の宗教や思想と違うところは、具体的な実践が示されている点だと著者はいいます。

「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いは、裏返せば「どうすればより良く生きていけるのか」ということです。その答えを自分で見つけるための具体的な指針をもたらしてくれるツールとしての仏教が紹介されています。

人間とは自意識に縛られる生きもの

仏教の実践として、心の平静を取り戻す「行」という取り組みが紹介されています。「行」は一言でいえば「ただやる」というもの。例えば著者は「眼鏡拭き」を行として、他のことは何も考えずにひたすら集中して眼鏡を丁寧に拭くという行為を実践しています。ポイントは何も考えずに自分の身体の動きや五感に集中すること。

私たちは、常に無意識に何かを考えています。目の前のことに集中しているように思っていても、実際は頭の中で別のことが次から次へと思い浮かんで、とりとめのない渦の中にいるようです。仏教の「行」はこの思想の渦を止めて「ありのまま」の現実を捉えるというのもの。落ち着いた平静の心で「今、ここ」だけを生きることができれば不安や後悔は生まれません。人間が動物とは違い、「今、ここ」ではなく過去や未来のことを思考してしまうのは「自分」という自意識が捨てきれないから。この自意識を薄くして「自分」と「対象」を一体化させることができれば、自分と世界との境界線が曖昧になり、私たちの心は現実以上の意味を世界に見出す必要がなくなります。

考えてみると、私たちの不安はいつも私たちの中から生まれてくるようです。

お寺は最上の心の洗濯空間

日本には各地に由緒あるお寺があり、掃き清められた境内や立派なご本尊を拝むことができます。仏教徒でなくても、こうした空間で静かに木々の音を聞いたり、線香の香りを嗅いでいると、それだけでなんだか清々しい気持ちになってきます。著者は心の洗濯の場として、日本にたくさんある仏教資産を活用しようと説きます。お寺でなくとも、家の仏壇でも、街角のお地蔵様でも、そこは他の場所とは違う空気がありますよね。小さいころ、私は仏壇の前で遊ぶのが大好きでした。何故かはわかりませんが、落ち着くんですよね。今の子どもたちは、そういう感覚があまりないのかもしれませんが、日本人に息づく仏教観のようなものなのかもしれません。

本書の後半では、こうした空間も活用して、日常生活に仏教を取り入れることで「心の平静」を感じることや、瞑想の方法などが具体的に書かれています。お経が意訳されずにサンスクリット語のままで伝わっている理由や、言葉のもつ力にも触れています。また大乗仏教の教えとして、悟りを開いた人だけの仏教ではないこと、他者への善行を通して自分が完成していくこと、などが書かれています。どれも示唆に富んだ言葉ばかりでした。

本書を通して、これまで、あまり親しみを感じてこなかった仏教が、ぐんと身近になった気がします。そうか、色々と考えすぎだったんだな、と思って、とりあえず目の前の仕事を何も考えずにやることから始めてみたいと思いました。これで、心の平静が訪れると良いのですが…。

 

2022年11月20日 読了