ROBOBO’s 読書記録

読んだ本の感想です。

養老孟司・小島慶子『歳を取るのも悪くない』_感想

 

人生100年時代の不安に

元アナウンサーの小島氏と解剖学者の養老先生が世間話をするような感じで、なんとなく生きることや学ぶこと、働くことなどについて語っている対談集です。

ものすごく役に立つことが書かれているわけではありませんが、ああ、そうか、と生きることを再確認できるといいますか、落ち着くといいますか、そんな読後になります。

小島氏の「長生きしていいことってありますか?」の問いには、「歳を取って怒らなくなりました」の答え。でも、若いころは、いろいろなことに対する怒りが仕事のモチベーションになっていたといいます。でも、「歳を取ると怒りっぽくなる人が多いですが?」の問いには、「それは生き損ない。なんでも周りのせいにしてしまうのは必死に生きてこなかったから」そして、今の日本で欠けているのは「自分を育てる」という感覚だといいます。育つことは変わること、変わるためには体を使って色々な経験をして、失敗したり上手くいったりということを重ねることが学びになりますが、今はそうやって自分を育てるチャンスがつぶされて難しくなっているとも。

小島氏の「仕事はストレスだし、退職後の日々も不安です」の問いには、「天職なんて世迷い事」とバッサリ。お金がなければ働けばいいだけのこと。目の前のことを必死にやっている限りは、自分は育ち続けるし、変わり続けるといいます。どんな仕事も全力でやれば、それは自分の修行になるし、自分を育ててくれます。確かに、その仕事が向いているか向いていないかは、ずいぶん後になって、別の仕事に巡り合ったときに初めて気づくものですよね。振り返ってみて初めて分かる自分の歩んだ道です。その時々を真剣に取り組めば、先のことは判らないけれども、それでいいのだと思えます。

人生100年時代の幸せとは

小島氏の「幸せって何だろう」の問いには、「僕はね、楽するってことが嫌なんだ」と答えます。人と違うことを厭わないこと、そのためには自分で考える癖をつけておくこと、考えるためには辛抱も必要だし体力も必要。それが生きているということでしょう、と養老先生。役に立つことだけをやるのではなくて、役に立つかどうかわからないけど、とにかくやってみる、続けてみる、という気持ちも大切なようです。言葉にする=理解する、分かる。だけではなくて、言葉にできないこと、言葉にしないことも大切だと言います。

なんとなく、分かるような、分からないような…。自分はこうしたい、というのは自分の意思で動くので能動態。自分が望まないけれど、外からの働きかけで動くのが受動態。養老先生は、そのどちらでもない中動態の世界があるといいます。つまり、自分の意思で動くことと、周りの流れで動いてしまうことと、その中間、あるいは両方の要素で動くことの3種類ですが、確かに、日々の生活を考えてみると、よくわからないけれど、そうなったという、偶然の出来事の連続が自分の人生を形作っています。自分の意思で頑張るのもいいけれど、結果としてそうなったと、流されて生きることも悪くないような、逆にそれが自然なような気がしてきます。

今の自分は、過去の自分が思い描いていた人物とは少し違うかもしれませんが、過去の自分の延長線上にあることは間違いないわけで、積極的でもなく消極的でもなく、受け入れつつ選びつつ、自分で考えながら生きることが大切なのかな、と思いました。

今年の春は季節が少し早いですね。花を愛でつつ、まずは今日を生きていきたいと思います。

 

2023年3月25日 読了