ROBOBO’s 読書記録

読んだ本の感想です。

松原隆彦『宇宙はどうして始まったのか』_感想

 

宇宙の始まりは何だったのか

 宇宙について全くの初心者、ましてや物理学、量子力学なんで何語で語られているのかもわからない、そんな人でも、なんとなくこの宇宙にも始まりがあったんだろうな、と漠然とイメージできるのではないかと思います。なんだかよくわからない、もやっとしたカオス状のものから宇宙の卵みたいなものが生まれて、膨らんで…私もそんなイメージでいましたが、本書を読んで、そうしたイメージは根底から覆されてしましました。

 結論から言うと、宇宙の始まりは解明されていません。これから先も解明されるかどうかも分かりません。しかし、少なくとも、宇宙の始まりの概念は、私たちの常識の延長線上とは全く違うものなのだ、ということが本書を読んで理解できました。それが分かっただけでも目から鱗と言いますか、世の中には(宇宙の中には)人智を超えたことが山ほどあるのだな、ということに気づきました。スケールが大きすぎて、逆に心地よい謎だな、と思います。

量子論、相対論、ストリング理論、素粒子論…

 本書では量子論をはじめ、様々な理論が登場します。誰も宇宙の始まりを見たことがないので、人間にできることは推論すること。そして推論を実験によって確認し理論の正しさを証明していくことが物理学のあるべき姿のようです。

 量子論といえば、シューレディンガーの猫が有名ですよね。量子のレベルになると、その動きはニュートン力学では説明できず、量子がどのルートを通ってA地点からB地点に行くのかは、誰かが観察するまでは決定していない、というアレです。観察者が見ていないときには量子は無数の可能性の中であらゆる動きをとっているが、観察したとたんに動きは1つに決まるというものです。ちょっと常識では理解が追いつきませんが、観察するということは、人間が目で見えるということであり、光が存在するということでもあります。この光もなく、空間も時間もない、それ以前の状態である「無」が宇宙の始まりであった、ということです。

 では、光も空間も時間もない状態に、いったい何があったのか。ここからは、相対論やストリング理論、素粒子論など最新の理論が次々と登場して、考察を行っていきますが、やはり、現段階では結論は導かれておらず、どの理論も正しさを確かめることはできないようです。それぞれの理論はとても面白く(理解は半分もできませんが)、本書を読み進めていくうちに著者と一緒になぞ解きをしている気分になれますので、ぜひ読んでみていただきたいです。

世界はマトリックスなのか

 本書の後半では「量子論多世界解釈」という概念が登場します。ここでは、詳しくは書きませんが、これを支持していたホイーラーという科学者が、あるときから「ビットがすべてを作り出す」という考え方に変わります。ビット、つまり情報が世界を作っているという考え方です。宇宙はその存在を(観察者によって)認識されて初めて存在するのであれば(量子論の概念にのっとった場合ですが)、認識する主体は何をもって認識するのか。ホイーラーはそれは情報ではないかと考えます。世界にあるものは全て人にとって情報といえます。認識するものが存在するのであれば、認識するもとになる情報が世界を構成しているのではないか、という理論です。そして、情報は0と1によるビットの世界に置き換えられる…だんだんと話がマトリックスに近づいてきました。

 いきなりSFの世界に飛び込んでしまったみたいに思いますが、本書を順に読み進めていくと、もしかしたら、そうかもしれない、という気分になるから不思議です。私たちが認識する世界、認識でき得る範囲が宇宙であるならば、もしかしたらそれはビットの世界なのかもしれません。そうした、現実なのか非現実なのか、正しいのか間違っているのか、存在するのかしないのか、曖昧な世界を探っていく面白さが宇宙論にはあるのだと感じました。自分の理解の範囲を軽く超えていますが、宇宙って本当に不思議で魅力的です。もう少し宇宙論に触れてみたくなりました。

 

2024年5月6日 読了