ROBOBO’s 読書記録

読んだ本の感想です。

成毛 眞『アフターコロナの生存戦略』_感想

 

変化を楽しむために

 アフターコロナの時代を生きるための心の持ち方というか、ちょっとしたアドバイスが書かれた本です。サクサクっと読めて、読後になんとなく前向きな気持ちになれる本だと思います。

著者は元マイクロソフト社長ということですが、文章は柔らかくて難しい表現もでてきません。これからの経済のこと、働き方のこと、趣味を持つことなどが著者の経験も交えてサラッと書かれています。

まず、コロナは予想もしなかった大きなインパクトだったわけですが、コロナのおかげで無駄な出張がなくなり、やらなくても良い会議が減り、手抜きをしても問題がない事がわかりましたよね。コロナが収束しても私たちは3年前の意識には戻らないと思います。そうしたなかで、コロナ禍は、確かに禍ではあったけれど、それをステップと捉えて前向きな生き方をしよう、というのか本書の趣旨だと思います。

変化に翻弄される期間は終わったので、これからは変化を積極的に楽しんでいく時代を生きようよ、ということですね。

これからの遊び方、地頭力の時代                                       

本書の中で激しく共感したのは、これからの遊び方と学び方の章。

まず一つには、これからの長い100年人生において、「遊ぶ」ということが重要になるという点。「遊ぶ」=趣味を持つ、ということで、何でもいいから、続かなくてもいいから、自分の興味を持ったことを気軽に始めてみるのが良いようです。やってみたいけど、お金がないとか、時間がないとか、場所がないとか、機会がないとかいって、やらないことの何と多い事でしょう。幸い、コロナの副産物として、オンラインで大学の正規授業も履行できるようになりましたし、その気になれば世界中の人とつながることも可能になりました。時間と場所のハードルは確実に下がりましたよね。

例えば仕事をリアタイアしてからとか、子育てが一段落したらとか、そうやって何でも先延ばしにしがちですが、人生100年時代だからこそ、今、自分が興味を持てることがあるのなら、今挑戦してみるべきだということが分かりました。

それから、これからはとにかく地頭力の時代だと著者はいいます。知識はすでにAIでカバーできてしまうので、覚える必要がありません。語学ですら、翻訳機能で大部分がカバーできます。子どもには、もちろん国語算数理科社会など、社会の基本的な考え方を身に着けさせることが大切ですが、それと並行して、様々なことを経験しておくことが、これからはますます重要になると思います。

場所に投資する

著者の提唱することのなかで、「自分が快適にすごせる場所に投資する」という考え方も新鮮でした。著者は祇園お茶屋で一晩に10万以上を使うけれど、来ているセーターはユニクロ、という考え方の人。お金の使い道を「投資」だと考えてみると、消費の意識が変わると思いました。例えば、衣服にしても、ここぞという時に着ていくスーツは上質の生地で仕立ての良いものを買いたいと思うのですが、それは自分がそのスーツを着て過ごす時間への「投資」になるわけです。ビジネスの場であっても、プライベートの場であっても、おそらく一張羅のスーツを着る場面というのは、自分にとって大切で貴重な時間と場所なわけですから、そこにお金をかけることは、自分自身の可能性を広げるために投資してることと同じなのだな、と思いました。

同じように考えると、食べ物であったり、旅行などの体験であったり、なんでも自分への投資だと考えてお金を使うようにすると、自然と豊かになるように思います。

変化の激しい時代だからこそ、まずは自分自身に投資をして、よく遊び、良く学び、よく働く日々にしたいと思いました。

 

2023年1月28日 読了

 

田淵直也『最強の教養 不確実性超入門』_感想

 

予測できる未来と予測できない未来

例えば、とある町の人口は年間の出生数、死亡者数、転入者数から、ある程度の未来までは予測ができるのに対して、災害や疫病の流行などによる人口の喪失は、その可能性があることは理解していたとしても、あらかじめ予測ができません。不確実性とは、将来の出来事には「予測ができない」性質がもともと備わっているということ、そして、この不確実性があるということを前提に、そこから生まれるリスクをいかに制御できるかが、意思決定をするときの大切な要素であると著者はいいます。

私たちは何かを決める時、無意識に未来の予測を立てていると思いますが、実は自分が思っている以上に世の中は不確実なことであふれているようです。本書は、ちょっと目からウロコといいましょうか、とても示唆のある内容で、大変面白く読み進められました。物事を見る目が少し変わったような気がします。

ランダムウォークとフィードバック

著者は金融業界で活躍されていたので、リーマンショックやバブルの仕組みなどの実例がたくさん紹介されています。

まず、不確実性がある、ということの一つの要因として「ランダムである」ということがあります。サイコロを振って3の目がでる確率は計算できますが、3の目が出るかどうかは、たまたま出る時は出るし、出ない時は出ないし、ということで何か必然的な要因があるわけではありません。こうした因果関係のない予測不能性が世の中には溢れているという事実をまず認識する必要があるようです。例えば、サイコロのわずかな重心のずれや、その時の気温、湿度、投げられる角度、机の材質や摩擦など全ての情報を把握できるならば、次に投げた時に3の目が出るかどうかを予測できるという「ラプラスの悪魔決定論という考え方があります。決定論によると全ての出来事は因果関係によって成り立っているため、全ての未来は原理的には予測ができるというものです。しかし、現実には、私たちはラプラスの悪魔にはなれないし、因果関係のない(把握できない)ことがほとんどです。著者は量子力学の概念も引き合いに出しながら、すべての物事が予測できるという考え方は捨てなければならない、と説きます。

では、ランダムな出来事は、まったく見当がつけられないのか、というとそうではなく、ランダムな出来事のつながり(ランダムウォーク)により正規分布のパターンが生じる事象が多くあります。この正規分布の活用によって、リスクの大小を予測することが可能になり、例えば投資であれば、どこまでリスクが取れるのか、という判断材料になります。

ランダム性で説明できないもう一つの不確実性として、「べき分布」の性質があります。これは、平均から離れた極端な出来事が起こる確率は減ってはいくが正規分布ほどには減少しない、という性質です。その結果、起こりえないような出来事が、予測よりも頻繁に起こるということになります。これは、結果が結果を生む「フィードバック」によって、ある結果が生じたときに、その結果が原因となってさらに結果が再生産されるという自己循環が生じるからのようです。お金持ちが更にお金持ちになってしまう仕組みと同じですね。

予測は外れて当たり前

不確実性の紹介が少し長くなってしましましたが、では、予測できない社会を生き抜くにはどうすれば良いのでしょうか。

著者は、予測は外れて当たり前だという前提に立って、特定のモノに決め打ちをするのではなく、まずは数多くのアイデアを試して失敗をするなかで、上手くいく方法を伸ばしていくというやり方が有効だと紹介しています。そのためには、短期的な結果に振り回されず、小さな失敗を許容して、長い時間軸の中で大きな失敗を犯さないというやり方で「勝ちに行く」ことが重要です。何かの意思決定をするときも、常に不確実性が当たり前なのだということを念頭に、柔軟に方向を変えていくような進み方が良いのかもしれません。

実生活の中で、またビジネスの中で、私たちは小さな決断を繰り返して生きていますが、世の中は不確実なことで満ちているのだ、ということを認識して備えていくことが、これからも様々な場面で重要になるのではないかと思います。仕事の参考に、と思って読み始めた本書でしたが、その内容の広さと面白さに、思わず唸ってしまいました。

そんなわけで、自分に気づきを与えてくれる良書に出会えるかどうかも、ランダム性なわけですね。たくさんの失敗が成功を生むということを改めて念頭に置いて、不確実な現実と向き合っていきたいなと思いました。

 

2023年1月14日 読了

村山 昇『働き方の哲学 360度の視点で仕事を考える』_感想

 

自分にとって「働く」ことの意味とは

良い本に出会えたな、というのが率直な感想です。ちょうど今、職場内の人事評価とか異動希望調書を書かなくてはいけない時期で、この本が目に留まったのも偶然の中の必然だったと思います。

本書は、一般的な仕事のスキルを紹介する書籍とは違っていて、自分にとって働くことの意味は何なのかということを考え直すことで、仕事に向かう気持ちを整理したいときに読むと、ストンと落ちるものが得られる本だと思います。タイトルの通り、哲学者の言葉が沢山でてきますし、図解説明も豊富で、働くことの意味を考え直す、自分の立ち位置を捉えなおすツールとしても役に立ちます。これまで当然のようにとらえてきた「働く」ということにまつわる色々な概念が丁寧に解説されていて好感が持てました。

「働く」ことの意味ですが、まずはやはり生活をするため、ということがあると思います。でも、これは自分の時間や能力をお金に換えている「作業」です。それだけでは「働く」ことの意味が得られません。次に大切なのは「価値を創造している」という感覚。誰かに対して、あるいは社会に対して、自分が働いた結果が何らかの形で活かされると、深い満足感を感じます。「働く」ということは、自己表現の一つだとも思います。

キャリアはどうやって作られるのか

著者は、キャリアとは、「職業生活における経験や能力・成果・役割の連なり」と定義します。また、キャリアの形成には、一心に山頂を目指す「登山型」と、山を回遊して楽しむ「トレッキング型」があるといいます。確かに、職種によって目指すべき地点が明確な仕事もあれば、繰り返しの仕事の中で組織として成長することに意義のある仕事もありますよね。どちらの型にしても、大切なことは、「山に登るということ」そのものを楽しめているかどうか、ということです。将来の目指す地点のために頑張っていても、今の仕事に面白みややりがいを感じられないと辛いだけの作業になってしまいます。日々の小さな仕事にも好奇心や面白さを感じられることが、重要な能力なのだと思いました。

また、キャリア形成には段階があるともいいます。新卒から入社して3年目くらいまでは、日々の業務の中で、知らなかったことを知り、出来なかったことが出来るようになるので、自分自身も周りの人も目に見えて成長を実感できます。でも、仕事に慣れてくると新しい学習もなく、毎日が同じことの繰り返し、自分自身でも成長を感じにくくなってしまいます。この辺りで、例えば管理部門から営業部門に異動するとか、大きな転換があると、また新しい学びができるのですが、異動のない職種の場合は、マンネリ化が避けられません。

著者は、「キャリアの節目」として、それまでの習慣が形作ってきたキャリアから、大きく飛躍する瞬間があると言います。それは後になって、あの時が節目だったんだな、と気づくようなものだと言いますが、確かに誰しもそういう経験がありますよね。それは、突然の異動がもたらしたり、自分自身の生活の変化がもたらしたり、要因は偶発的かもしれませんが、その誘因として、それまでの日々の積み重ねがあることは間違いないようです。

人生100年時代の長いマラソンを走りぬくために

働き方が多様化し、また、定年が延長されて、私たちは一つのキャリアだけで人生100年を終えることが難しくなっています。働き方の色々な選択肢がある中で、何十年と続く職業生活に持ちこたえられない人も増えていると著者は言います。メンタル不調になったり健康を害したり、仕事を続けることが、昔ほど単純ではなくなってきているように思います。そんな中で、自分なりのキャリアを積み重ねて、長い職業生活を走りきるために大切なことは、①まずは完走できるように持続可能な生活を目指していく。そして、②楽しく走る。こと。

①については、いつまでも若くないので頑張りすぎない、ということも大切だと思います。寝ても覚めても仕事のことばかり、という時間も必要ですが、ふっと自分を俯瞰する時間も大切にしたいと思います。そして、楽しむこと。仕事は辛いことの方が多いです。でも、その中でも自分なりにやりがいや楽しみを発見できる人で居続けたいと思いました。そして、マラソンであるならば、自分のゴールはどこなのか、ということをずっと考え続けていきたいと思います。それは、もはや60歳とか65歳とかいう、年齢だけではないように思います。

自分が何をしてきたか、何を考えるのか、何をするのか、それをずーっと考えて、ずーっと動いていく(変わっていく)ことが大切なのだと思いました。

明日からの仕事も楽しく動いていきましょう。

 

2023年1月8日 読了

土井健郎・斎藤孝『「甘え」と日本人』_感想

 

「甘える」ということの難しさ

英語には「甘え」という言葉がないそうです。欧米は愛情表現が豊かで、子どもは親に安心して甘えていて、夫婦はお互いに愛し合って信頼しあっているようなイメージがありますが、日本語の「甘える」とか「甘えさせる」という意味を持つ単語がないそうな。子犬が人に甘えて、それを可愛がるのは『愛撫する』と表現するらしく、ちょっとニュアンスが違いますね。

本書では、著書に「甘えの構造」を書かれた土井健郎さんと、学生のころに「甘えの構造」を読んで大きな感銘を受けた斎藤孝さんが、対談形式で現代に広がる人間関係の病や、子どもの成長と甘えの関係、日本人の身体感覚などを論じています。

「甘える」という行為は、例えば親と子、飼い主とペット、先生と生徒、時には上司と部下、友達同士でも、自然に出てくる感情だと思います。ただし、前提にあるのは、「甘えられる」という安心感。甘えるためには、甘えても良いという共通の空気感が必要ですが、私たちの人間関係を考えてみると、以前よりも、そうした距離感が遠くなっているような気がします。甘え上手な人が減って、自分勝手な人が増えているようにも感じますね。

幼い子どもは存分に甘えさせる

やはり、何も考えずとも、自然と甘えられるのは幼い子どもの頃だと思います。親に守られている安心感、何を言っても何をしても許してもらえるという信頼感、甘えることが心地よく、また甘えさせる方も甘えてもらえることに喜びを感じます。

例えば、これが幼いころから自立を求められて、甘えても良い空気感がなかったとしたら、あるいは家庭の中に寛いだりダラダラするような「甘い」空間がなかったとしたら…私たちは親の顔色を窺い、「甘える」ということに勇気が持てず、自己表現としての「甘え」ができないまま子ども時代を終えることになってしまいます。そして、その人間関係のひずみは、大人になって社会に出てからも人と信頼関係が上手く結べないという傷跡を残してしまうようです。

精神科医である土井氏は、現代に多く見られる精神疾患は、先天的な脳の異常を除くと、ほとんどが人間関係の中で発生する病であると言います。つまり、小さな頃に、甘えることによって培った人間関係の土台が、その後のコミュニケーション力や自己有用感の育成にとても重要なのです。

ですので、小さいお子さんがいるご家庭は、ぜひ家庭の中に「甘い」空間と「ゆるい」空気感を作っていただきたいと思います。そこでは力を抜いてもいいし、頑張らなくてもいい、褒められることなんて何も出来なくてもいい、そういう時間や空間が子どもにも大人にも必要ですよね。斎藤氏は、眠る前に子どもに本を読んであげる時間が最高の「甘え」の時間だと言います。親も子供も寛いで、布団のなかでくっついて、小さな間だけの貴重な時間です。

子どもは親が思うよりも早く大きくなりますので、どんなに甘えさせても、小学校高学年くらいになると、もう親には甘えて来なくなります。だから、「甘ったれになるのでは」と心配せずに、小さいうちにたっぷりと人間関係の練習をさせてあげてほしいです。

日本人の身体感覚とは

日本人にとって「甘え」の空間が必要なものだとすると、緊張する「場」の空間も同様に重要な役割があると斎藤氏は言います。学校では、新学期には始業式があって、授業の始めと終わりには起立・礼の号令があって、他にも入学式とか離任式とか、とにかく礼をして始まる儀式がとても多いですよね。子どもの頃から、そういう儀式を日常的に行っていたからかもしれませんが、今も、「起立・礼」という号令をかけられると、気持ちが少し引き締まる感じがします。また、書道とか茶道とか華道とか、剣道とか柔道とか、〇〇道と名前が付くものも、始める時から終わる時までの型や手順に大きな意味があるように思います。礼をして始めて礼をして終わると不思議と清々しい気分になりますよね。

こうした日本ならではの身体感覚、緊張感のある「場」をつくる力が、自分の中での「中心」を捉えて、まっすぐに立つという感覚の育成と繋がっているようです。オフィシャルな場では適度な緊張感を、プライベートな場では甘えられる空気感を、こうした感覚が日本人ならではのものだと思いますが、残念ながら、物事の区切りがだんだんと曖昧になって、適度な人間関係の保ち方も分からなくなってきているように思います。

さて、お正月ですね。

まだ、初詣に行ってないのですが、今年は鳥居をくぐるとき、神様の前で手を合わせる時、いつもよりきちんとお辞儀をしたいです。そして、久しぶりに帰省した子ども達とは、もう十分すぎるほど大きくなっているので難しそうではありますが、つかの間の「甘え」の時間を共有できたら良いなと思います。

今年一年、自分の「中心」を自覚できる年になりますように。

 

2023年1月2日 読了

江上剛『会社人生、五十路の壁 サラリーマンの分岐点』_感想

 

いつまでこの仕事を続けます?

ごく普通のサラリーマンとして、会社に就職するのが20代前半。それから昇進したり役職についたりして、50代を迎えるころには、これまで生きてきた人生の半分を会社の中で過ごしてきたことに気づいて、「あれ?これで良かった?」と愕然としてしまう。中高年になると誰もがそんな気持ちになりますよね。

本書は、なんとなくこれまでの生き方を振り返ってみたいと思って手に取った一冊です。著者は、元大手銀行員。50代を前に脱サラして作家に転身された方です。そのあと、銀行の不祥事の後始末を任されて、一時は裁判になったりと色々苦労をされてきました。そんな著者が銀行員時代を振り返って、「いつまでこの仕事を続けるのか、他にやるべきことはないのか」という問いにヒントを出しています。

誰もがある年齢になると、未来を想像するよりも過去を振り返ることの方が多くなると思います。未確定の未来よりも、自分の足跡がついた地面の方が断然長く見えてきます。でも、これからは人生100年時代。60歳で定年退職して年金を満額いただける時代ではなくなりました。今が50代だとしたら、あと残り半分も自分の力で生きていかなくてはならないという、とても残酷な時代になりました。

辞めなくてもいいのなら仕事は辞めてはいけない

著者は40代後半という働き盛りで大手銀行を退職して、ずっとなりたかった作家に転身されました。もちろん、作家の才能があり、コンスタントに作品を書ける力があったからできたことだと思いますが、当時を振り返えっての著者の言葉は、「仕事は辞めない方がいい」というもの。著者が退職したきっかけは、ある経営陣の会議で取締役達の発言に単純に腹がたったから。ちょっとしたきっかけで会社への信頼が崩れてしまったのだと。

それでも、会社への信頼が薄れて、色々と理不尽なことがあったとしても、やはり組織を離れるのは慎重にするべきだと著者は言います。組織なしの自分を振り返ってみると、自分に残るものはほとんどなかった、名刺の山もほとんどは紙くずであったと。

確かにそうかもしれませんね。会社の中では人が仕事をするのではなく、その人の役職が仕事をしていることがママあります。逆に、組織で働くとは、そういうことだと思いますし、それを理解していないと、上手く立ち回れないことが沢山あると思います。でも、素の自分に戻ったとき、自分が身に着けたスキルはというと…ほぼ何も無いですね。

これは、中高年にはかなり衝撃的な事実です。20代前半から生活時間のほとんどを費やしてきたはずなのに、会社の外に出たらなんの役にも立たないわけですから。

後半を楽しむために何を大切にするべきか

では、どうしたらいいのでしょう。このまま仕事を続けて、もっと出世できる見込みのある方もおられるでしょうが、多くの人がそこそこの役職、そこそこの年収、そこそこの業績で60歳を迎えて、その後は役職を降りて、年金が出る歳になるまで会社に雇ってもらうという生き方が待っているわけです。会社に居場所があることは、とても幸運なことですが、少し空しくも感じます。自分のやってきたことの証をどうやって確認したらよいのでしょう。

著者はヒントとして、何歳になっても自分の好奇心の向くままに色々やってみること、家族のなかに居場所をつくること、そして、とくに大切なのが、仕事を通して得られた人間関係を大事にすること、と書いています。名刺の整理をしたときに、本当に自分の話を真摯に聞いてくれそうな人、自分と一緒に何かをやってくれそうな人がどれだけいるだろうか、と。実際には手元に残る名刺は数枚かもしれないけれど、それこそが自分が仕事のなかで築いてきた財産そのものであると。それは社外の人かもしれないし、取引先の方かもしれないし、社内の部下や上司かもしれないけれど、そうやって築いてきた人脈を、人生の後半を生きる武器として使っていくことが重要なのだと思いました。

これから先に自分と一緒にアホなことを(失敗しそうなことを)やってくれそうな人、自分が迷ったときに話を聞いてくれそうな人…たくさんではないけれど何人かが頭に浮かぶと思います。その人たちはこれまでの苦労を共にした人かもしれませんし、自分が感銘をうけた師かもしれません。そして、これからも日々の仕事を通して、あるいはプライベートの活動を通して、また新しい人達とどんどん出会っていくはずです。

やはり人との縁を大切にしていくことが自分の財産になるのだと思いました。明日からはそういう視点で日々の仕事に取り組んでみたいですね。

 

2022年12月23日 読了

 

下重暁子『極上の孤独』_感想

 

一人になるとホッとするあなたに

そろそろ年末、忘年会やパーティーなど人と集まる機会が多いシーズン。ここ数年はコロナの影響で大勢で集まることは稀ですが、まあそれでもお正月には家族が揃ったり、久しぶりに友人と飲んだりすることが増えますよね。そうやって人とたくさん話した後に、一人で電車に乗って帰る時間がなんとなく好きです。一人になるとホッとするという方には、この本はわかりみの多い一冊かと思います。

著者は当時の売れっ子アナウンサー、NHKの女子アナからフリーになって、そのあとは執筆活動を中心に歳を重ねて、政府機関の重役を務めたりもして、本書を書いている当時は81歳の年齢。もう十分におばあちゃんと言ってもよい歳だと思いますが、なぜだか全然、年齢や性別を感じさせない文体で好感が持てます。そんな彼女が、一人の時間を大切にすることの意義を書いています。

孤独という言葉は、あまり良いイメージがなくて、特に晩年に家族を失ったあとに老後を一人で過ごすというと、とても寂しいような侘しいような感覚になります。でも、本書を読むと、一人になるとホッとするタイプの方なら共感できる部分がたくさん出てくると思うのですが、老後に向かう勇気が湧いてくるというか、もっと一人の時間を大切にしなければ、という気持ちになります。

孤独が人を育てる

本書に出てくるのは著者の等身大の姿。アナウンサーというテレビ業界の華やかな仕事に就いて、大恋愛をして、大失恋をして、本を書いて、俳句を読んで…という、少し一般人とは違う感じもしますが、著者の生き方が自然体で書かれています。そして、そうした人生をとおして、しみじみと「孤独が自分を育てたのだ」と振り返っています。

人の中で群れるのではなく、自分の考え方を持ち、自分で判断して行動する…著者の定義する孤独とは、こういうことかと思いますが、「孤独を知らない人には品がない」と言い切ってしまうくらい、自分一人で物事を考えて行動するということの覚悟や思い切り、カンの良さが、その人の性質を作っていると言います。

確かに、大勢の中にいるときの自分は、話していることも考えていることも、本来の自分とは少し違っているように思います。当然のことですが、周りに誰かがいる時は、無意識のうちに、その人が好むだろうか、その人が面白いだろうか、と考えて自分の発話や行動を選んでいます。これこそがコミュニケーションだと思いますし、そうやって相手の立場から見た自分も、自分であることには違いがないのですが、でも、確かに、それが本来の自分かと言われると少し違うようにも思います。

一人でいる時は、そういうことは気にしなくてよいので、とことん本来の自分で考えを深めることができます。文章を書いたり、絵を描いているときも、そんな感じですよね。孤独の中で自分と向き合う時間が必要なのですね。

群れず、媚びず、しずかに

仕事では職場の上司や同僚がいて、プライベートでは家族がいて、スマホを見れば見ず知らずの人が何かをつぶやいていて、なかなか自分だけになれる時間がありませんが、それでも群れず、媚びず、しずかに過ごす時間を毎日の生活の中で大切にしたいと思いました。

一人が寂しいのではなくて、一人で何もできないことが寂しいのです。大勢の中にいても、孤独を感じる時がありますが、そういう時の自分自身が何者でもない感覚が寂しいのだと思います。

とりあえず通勤時間とトイレ中は、自分だけの時間ということで。

 

2022年12月20日 読了

 

中室牧子『「学力」の経済学』_感想

 

データで教育を分析する難しさ

先日、幸いなことに著者の講演を聞く機会がありました。後になってから、本書を読んで、より理解が深まったと思います。

一貫して言えることは、教育は誰もが受けてきたものだからこそ、その良し悪しを語るときには主観的になってしまいがちだということです。もう少し突っ込んで考えると、教育の成果というものが目に見えて測定しにくいので、どうしても客観的なデータよりも主観的な自分の経験や人から聞いた逸話などを、一般化して語ってしまいがちだということです。

色々な「教育」があるけれども、どこにも「正解」はないという、まさに皆にとっての正解ではなく、あなたにとっての最適解を見つけるということが個別最適な学びなのだろうとも思います。

本書では、主観ではなく客観的なデータに基づく考察が色々と紹介されています。これが金融や経済、産業の書籍だったら特段に珍しい事でもないと思うのですが、やはり、学び方の差や、学びの成果をデータで見て考えるということは、教育の世界では浸透していないようです。

著者は本書の中で、日本で教育に関するデータを取ることの難しさや、実験的にやってみて上手くいかなかったら軌道修正するという、「試行錯誤」的なアプローチが取りにくいことを指摘しています。確かに、教育の方法を自分の子どもを実験台にして試されると思うと、ちょっと容認できないかもしれませんね。でも、そもそも人の成長そのものがトライ&エラーのうえで出来上がっていくものですし、自分にとっての最適解を見つけることが「学び」だとしたら、みんなが同じ方法で教育を受けなくても良いように思います。

まずは勉強の仕方を勉強しよう

本書では、例えば、テストで良い点をとったらご褒美をあげるというやり方は良いのか?という疑問への答えが書かれています。

結論から言うと、ご褒美をあげる対象がインプットに対してなのか、アウトプットに対してなのかでご褒美の効果が変わってくるというもの。アウトプット、つまりテストで良い点が取れたらゲームを買ってあげる、というような提案をした子どもの学力テストの成績はほとんど伸びなかった、という結果があるそうです。一方で、インプット、例えば読書をするとか、宿題をするということに対してご褒美をあげると、結果的に学力テストの成績が上がったとのこと。これは、アウトプットでは、それを達成するために具体的に何をするべきか方法が示されていないのに結果が求められるのに対して、インプットは何をすれば良いのかが明確で、結果ではなく行った行為にに対して評価が得られるため、子ども達のやる気を刺激して、良い結果につながるようです。

アウトプットに対して外的インセンティブを与える場合は、その方法も一緒に示すべきなのですね。ますは勉強のやり方を学ぶことが大切です。

人材育成のブラックボックス、教育のタブーをなくそう

本書を通して著者が言いたいことは、もっとデータを活用して客観的な判断に基づいた教育政策を進めよう、ということだと思います。他の分野に比べて、「教育」というカテゴリーが不可侵化されていると感じます。例えば、各校の学力テストの結果を公表することは、とてもナイーブな問題で、「同じ学習要領に基づいて教えているのに結果に差がある」ということを公にすることはタブー視されていると思います。

でも、現実社会では、同じ投資をしてもリターンは同じではないし、一人一人のポテンシャルも違うわけですから、差があって当たり前なのです。しかし、戦後の公教育の方向性をそのまま引き継いでいるからなのか、同じことを全国一律で教えて、結果はどの学校も同じであるべきだ、という感覚が根強く残っていると思います。実際には数値化されていなくても、差異があることを誰もが知っています。

特に、今のような変化の激しい時代において、正しいことが正しいままでいられる時間がどんどん短くなっていると思います。子ども達も単に知識を学ぶのではなくて、知識をもとに自分なりの解を導き出したり、人と協調して物事を考えたり生み出したりする力が求められています。義務教育はそうした考え方や態度を培うための礎としての役割を担っていくべきです。まだ、あまり目に見えてはいませんが、少しづつ「学び方」というものが変わってきているのは事実です。

子ども達の未来は、ますます大変だろうな、と思いつつ、私たちも学び続けなくてはいけないな、と感じました。

 

2022年12月10日 読了