ROBOBO’s 読書記録

読んだ本の感想です。

鈴木祐『無(最高の状態)』_感想

 

不安をどんどん増産してしまう心理

一言で言うと、不安や苦しみとの付き合い方を禅の手法を用いて分かりやすく教えてくれる書籍です。著者の本を読むのは初めてでしたが、巻末の引用リストには膨大な研究論文が掲載されており、多くの人が研究を重ねてきた成果が本書の言葉の一つ一つになっているのだな、と感心しました。

まず、前半では、人は何故、自ら不安や苦しみを生み出してしまうのか、という理由が書かれています。例えば、事故にあったりケガをしたり、仲間を亡くしたりする経験は人も動物も同じようにありますが、動物はその経験を引きずらないけれど、人間はいつまでも過去の出来事を考えてしまします。そして、あの時、ああしておけばよかったと自分を責めてしまう、つまり苦しみをこじらせてしまう特徴があるようです。これは人間特有の過去と今と未来をつなげて考えてしまう能力のためです。過去の延長線上にいる自分を私たちは「自己」として認識し、未来に向かって「自己」を継続していくために今の行動を決めています。

この認知が、今起こっていることをただの現象として客観的に捉えるのではなくて、自己との因果関係としてとらえてしまい、結果的に苦しみや不安を増産しているのです。「私は私である」という感覚は、時には「私は自分らしく生きてるだろうか?」という疑問や、起こった出来事に対して「だから私はダメなんだ」というマイナス評価など、とかく自分のことを考えてしまいがちです。自己にこだわる人ほどメンタルを病みやすい傾向があるようです。

どうしたら「自己」を薄くできるのか

では、どうしたら起こった出来事をあれこれと考えずに受け入れることができるのでしょうか。本書では、禅の修行の手法を用いた精神トレーニングが詳しく紹介されています。

私たちの脳は、「考えないでいる」ということが苦手です。何かを見たり聞いたりしたら、自分では命令していないのに、勝手に頭が考え始めています。気が付くと、どんどんと思考が膨らんで、現実に起こったことの何倍も大きくなっています。精神トレーニングでは、例えば、意識を自分の呼吸だけに向けて他のことに向かう意識をなくす、というような方法が紹介されています。他にも多数紹介がありますので、自分に合った方法が実践できるようになっています。

そして、何も考えない状態=「無」の境地になると、過去の自分と今の自分のつながりが薄くなり、「わたし」を規定する必要がなくなります。「わたし」はただ存在しているだけになり、今起こっているありのままを感じられるようになるわけです。

過去からつながらない「わたし」は何者か

無我の境地になることで、過去の自分とのつながりが薄くなるのであれば、今ここにいる自分を規定するものは何だろうか、と考えてしまいます。著者は、無我がもたらす効用について後半部分で詳しく述べています。幸福度の上昇、意思決定力の向上、創造性の上昇、ヒューマニズムの向上などなど、無我によって私たちは、どのようなことに対しても「永遠の初心者」となり、「変わっていくことへの限りない受容性」を持つことによって、「圧倒的な自由」が得られるということです。

では、そうなったとして、私は一体何者なのか。の問いに他する答えは、やはり私は「わたし」ということでしょうか。無我の境地を得たからと言って、自分の経験したことの記憶がなくなるわけではありません。ただ、記憶を引っ張り出してきて、今の自分と照らし合わせて考えることが無くなるだけです。そのうえで、今の自分が取る行動や発言は、やはり「わたし」であるとしか言えません。この一瞬一瞬において、私は何事にも初心者で、でもどんどん変化して、それゆえにずっと自由でいられる存在だということですね。

読めば読むほど深いなあ、と感心しきりです。何事も変わっていくということの不変さを感じますね。

 

2022年11月12日 読了