ROBOBO’s 読書記録

読んだ本の感想です。

山極寿一『ゴリラからの警告 人間社会ここがおかしい』_感想

 

人間も自然の一部

著者はゴリラ研究の第1人者で、京都大学の総長をされていました。

ゴリラやチンパンジーなどの類人猿と人間の共通点や違いを通して、現代の社会システムや教育を考えさせてくれる内容です。

生物は自分が生きるために自己主張をし、成長し、やがて死んでいく。私たちに制御できない自然の営みだ。それに寄り添い、共感することで、自分も生物であることを実感する。動物を完全には操作できないから、その主張を認め、相手を信頼しようとする。

ロボットやAIを相手にして、個食や個住をすることが増えている人間にとって、今の生き方はとても不自然な状態だと筆者は言います。

本来、身体化されたコミュニケーションによって信頼関係をつくるために使ってきた時間を、今私たちは膨大な情報を読み、発信するために費やしている。

まさにそのとおりですよね。

サルまねで野生の心を育てるべし

京都大学の総長として学生の教育にも携わっておられる立場から、学ぶということについても持論を展開されています。

サルまねと言いますが、実はサルは真似ができないそうなのです。

サルまねができるのは人間だけ。真似ることは、その動作の意味や背景を考えて実行するというとても高度な活動のようです。

人間にとって野生の心とはなんだろう。それは、仲間とともに未知の領域に分け入って新しいことに挑戦する心であり、おそらく幼児のころに形づくられる。

京都大学というと全国でもトップクラスの高い学力と変人が集まる大学ですよね。

「いかきょー」という呼び方がありまして、「いかにも京大生」という意味ですが、私も京大生や先生方とお仕事させていただくときに、心の中で、あ、いかきょーだわ。とつぶやいています。良い意味で他の大学と違う雰囲気ですよね。

それは、他に迎合するのではなく、自分の考えをもって他と交わり、共に創り出すという精神だと総長は仰っています。

必要なのは、常識にとらわれずに自分の考えをまとめ、それを確固とした根拠をもって説明することだ。

これは大学教育の在り方だと思いますが、これを行うためには、やはり義務教育や高等教育の段階で、しっかりと基礎的な知識や物事の見方、考えを言葉にする力を身に着けておくことが大切だと思います。読書が大切なのは言うまでもありませんね。真似ることは学ぶこと、と言いますよね。

人間は生まれついたときから、周囲の期待によって自分をつくっていく。両親から、親族から、地域から、学校から、次第にその期待が大きくなって、自分の能力に自信をもつようになる。人間の子どもは負けず嫌いだ。

以外にも、人間は動物と比べると負けず嫌いのようですね。これは、家族という自分の身近なコミュニティに受け入れられるかどうかが、相手の期待に応えられるかどうかで決まり、その関係は離れてもずっと維持されるからのようです。

動物では一度離れてしまったら、例え親や兄弟でも、元の関係に戻ることはない。ということで、印象的でした。

不在が許される世界へ

もっと、人と顔を合わせ、話し、食べ、遊び、歌うことに使うべきなのではないだろうか。

自分の周りの人や自然との関係性の中で自分が作られるのだとしたら、もっともっと体験することが子ども達には必要ですね。ネットの中での体験と、実際の体験とがうまくバランスするのがベストではないかと思いますね。

筆者は、人間は記憶によって不在を埋められる生物であるため、2拠点を行き来して暮らすとか、複数のコミュニティに入ることができるのだと言います。そして、色々な立場に自分を置くことによって、反対側から見える景色にも気づくことができるようになるのではないかと。

それは記憶というものが自分の体験した世界のなかに張りついていて、それを見たり感じたりしたときに生き生きとよみがえるからなのだと思う。

大人になっても自分の知らない世界をのぞいたり、初めての体験をしてみたり、誰かと真剣に意見を交わしたり、そういうことを続けていかなくては。と思いました。

また大学で学べたら素敵だろうな。

 

2022年1月8日 読了