ROBOBO’s 読書記録

読んだ本の感想です。

遠藤秀紀『人体 失敗の進化史』_感想

 

進化の試行錯誤が体の中に

タイトルにある「失敗の」という言葉が気になって思わず手に取ってみた書籍です。

著者は、無類の解剖学者。 テレビにも出演されて「遺体科学」という学問分野を提唱されていました。 本書が書かれたのが2006年なので、もう随分と月日が立つはずなのに、内容が色褪せないのは、生物の進化という、とてつもない長く大きなスパンの科学を扱っているからでしょうか。 昨今の週替わりで更新されていく知識とは違って軽さや実用性はありませんが、自分の体を通して生物の進化を考えるという、普段は思いもしなかった深みにはまっていく感じが面白いと思います。

本書では、まず著者の仕事ぶりが紹介されます。 動物の腐りかけた死体を前に、どこまでの仕事ができるのか、一瞬一瞬が真剣勝負の解剖という仕事。 著者はいつでも死体を前に最高のパフォーマンスが出せるように、日ごろから戦いの準備をおこたらないのだとか… そして、献体として著者のもとにやってきた動物の死骸を前に、動物園の飼育員さんの愛情やプロ意識を感じるのだとか。

動物の体を解剖することによって、生物が進化してきた足跡が見えてくる、ということで、著者は「進化」を「設計変更の繰り返し」の産物だと言います。 最初から目的があって設計図ができたわけではなく、なんとなくのその場しのぎで手近にあるものから様々な新しい器官が生み出され、生物は、骨を持ち、肺で呼吸をするようになり、飛んだり跳ねたり、2足歩行をするようなったり、手先を器用に使って文明を創るようになったりと、進化を重ねてきました。 死体から導かれる進化の足跡は、まさに行き当たりばったりと失敗の産物であったようです。

2足歩行のシワ寄せ

中でも、人類が2足歩行を始めたことは、両手の器用さを獲得し、それによって脳の肥大化につながりました。 今の人間社会が存在するのは2足歩行のたまものだと言えるようです。

しかし、一方で2足歩行の実現は、体の構造に大きな負担をもたらしました。 それまで4足歩行で、心臓は水平方向に血流を送るだけだったものが、急に垂直方向に重力に逆らって仕事をしないといけなくなりました。 この変化はかなりのものだっただろう、と著者は言います。 かなりの圧力をかけて血流を脳に送るのと同時に、どんな姿勢でも血流を体中に届けられる柔軟さが必要になり、人の心臓にとっては困難な仕事を一生抱える結果になってしまいました。

そのほかにも、無理な設計変更がもたらしたヒト特有の病気などが色々と紹介されていて、なるほど、私たちの体は結構無理をしてきたのだな、と納得がいきました。 そうやって生物の進化を見ていくと、それは決して一方向ではないとは思いますが、ヒトが現在の進化の最終形なのだとしたら、なんとも不完全で脆弱な生き物ができてしまったな、という感想を覚えずにはいられません。

人間は更に進化するのか

人間が2足歩行をして脳を肥大化して、様々な道具を使うようになったのはわずか500万年のこと。 この先も人間はどんどん場当たり的に進化をしていくのか、という問いに、著者は否といいます。 「人間が短期的に見せた賢いが故の愚かさは、このグループが動物としては明らかな失敗作であることを意味している」というのが著者の考えです。 この先、場当たり的な体の進化を待たずとも、人間は最も進化した脳のために滅んでゆくのではないか、というのが著者の予想のようです。

そうした中ではあっても、自分たちが失敗作なのだと気づけるほど、私たちは立派に進化をとげてきたわけで、生物の成功とはなんだろうな、と考えてしまします。

本書の後半では、動物園や博物館が果たす役割について、著者の熱い思いが語られ、プロとしての地味だけど重要な仕事、歴史や生命の進化を探っていくという闘う学者の姿が書かれています。 そのような仕事に巡り合えた著者を羨ましく思いながら、自分の体の中にある生物の歴史を感じて、もっと健康を大切にしようと改めて思いました。

とりあえず早寝、早起き、朝ごはんから気を付けてみることにします。

 

2023年7月15日 読了