ROBOBO’s 読書記録

読んだ本の感想です。

稲垣栄洋『弱者の戦略』_感想

 

生きることは残酷だ

9月も下旬になったのに、まだ蝉の声が聞こえて、庭に黄色スズメバチがやってくる季節になりました。この夏は、なんだか長かった、かつ体調を崩したこともあってメンタル面でもちょっと調子が良くなく、そんな中、何度も読み返した本です。

本書は分類すると、生物学の書籍になると思いますが、ところどころに示唆に富んだ文章が盛り込まれていて、あれ?ビジネス書だったかな、と思うところもあり、著者のさらりとした中にウィットの効いた文章と生物達の生き抜くための戦略に力をもらえる本だと思います。

生きることの残酷さと、本当の強さを知ることができます。なんだか今の私には響きました。

生物にとって強さとは何か

生物にとって強さとは、とにかく生き残ることです。それも個体としてではなく、種として未来永劫に生き残っていくこと。まさに、「強いものが勝つんじゃない、勝ったものが強いのだ」の言葉通り、結果的に生き残るものが本当に強いわけで、一見すると弱く見える生物が駆使する生き残るための戦略こそ強さの秘訣のようです。

その戦略とは、「群れる」「逃げる」「隠れる」「ずらす」。ちょっと情けない感じがしますが、生き残ることが全ての世界において、正面から戦うことには何の意味もないわけで、いかに敵の目を欺いて隠れて逃げて生き延びるか、ということが生きることの本質な訳ですね。

オンリー1か、ナンバー1か

ナンバー1にならなくてもいい、もともと特別なオンリー1。という歌詞がありますが、生物界ではナンバー1しか生き残れないと著者はいいます。どの生物も食べ物や住処をめぐって熾烈な生き残り競争をするなかで、オンリー1でいるだけでは不十分、どんなニッチな条件だったとしても、その条件下でナンバー1にならなければ、すぐに他の生物に駆逐されてしまいます。そういう意味では、今、生き残っている生物はすべてが、そのニッチな空間での勝者と言えます。そして、ナンバー1になるということは、「誰にも負けない」ということではなく、「誰にもできない」ということ。大きな場所じゃなくてもいい、自分だけの小さな土俵で勝負して勝ち続けることが大切なのです。

弱者必勝の条件

弱者は複雑さ、変化を味方につけて勝負します。最悪の条件こそ、弱者にとっては勝つための最高の条件となります。外来生物が増えていますが、彼らは他の生物が生き残りにくい複雑な環境や、大きな変化を好機と捉えて繁殖します。他の生物が変化するよりも早く自分自身を変化させて環境に適応して生息範囲を広げていきます。いかに柔軟に変化をしていくか、いかに自分自身のスタイルを捨てて変えることができるか、なんとなくビジネスや社会生活にも当てはまる教訓が含まれているように思いますね。

あとがきで、著者はダーウィンの言葉を紹介しています。

「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できるものである。」

人間が地球の覇者となれたのも、とにかく弱かったからでしょう。弱いからこそ生き延びるために、他の動物がやらないことをやって、結果的に脳を発達させて、道具を使って今まで生き延びてきたわけです。

また、著者は西洋のこんな諺も紹介しています。

「一番強いものは、自分の弱さを忘れないものだ」

私たちは弱い存在である、だからこそ強く生きることができるのである。日々の生活でも忘れないようにしたいと思いました。ちょっと壁にぶつかったな、と思うときに読み返したいと思う本で、多分、またしばらくしたら読み返していると思います。

あくまでも、生物学の本ですが、言葉は生きる糧に。

 

2022年9月24日 読了

 

 

 

川嶋 朗『ボケたくなければカレーを食べなさい』_感想

 

今夜はカレーかな

最近、体調を壊すことが続いたからか、単に歳をとってきたからか分かりませんが、健康に関する本を定期的に読んでいます。

この本はタイトルの通りではありますが、なかなか勉強になる内容で、今後の生活をちょっと考えてみるきっかけになりました。認知症アルツハイマー発症のメカニズムから、東洋医学と西洋医学の違い、カレーに含まれる香辛料の効能まで、読んでると妙にカレーが食べたくなるから不思議です。

本全体も黄色いですし。

生活に取り入れたい東洋医学

医食同源という言葉がありますが、西洋医学では病気と診察されない、なんとなくだるいとか、なんとなく不調とかいう症状も「未病」として治療の対象だと考えるのが東洋医学の考え方です。

なかでも、筆者が研究されているのは統合医療という概念。これは病気の原因を改善するだけではなく、その人が、どのように生きたいのか、どのような生活を望むのかというところまでを含めて治療方針を患者さんと一緒に決めていくやり方のようです。

東洋医学では、人それぞれの体質や特徴の延長線上に病気が発生すると考えられており、人の体は「気・血・水」の巡りによってできているというのもの。これらの巡りが悪くなったり滞ったりすることで、なんとなく不調が現れるというもの。それは体だけではなくてメンタル面も同じなようです。そして、巡りを悪くする最大の原因が「冷え」なのだそうです。

カレーは、食べたら熱くなるホットフード。冷えに効くから、とりあえずカレーを食べなさい、ということですね。

香辛料は心のスパイスにも

カレーにはクミンやアニス、ウコン、胡椒にショウガ、タイムや唐辛子、ニンニクなど、たくさんのスパイスが含まれており、これらが抗菌作用や整腸作用をもつだけでなく、そのピリッとした旨味が体を芯から温めてくれます。不思議なことに、カレーのスパイシーな香りを嗅ぐと、もうカレー以外は考えられないくらいカレーの口になってしまいますよね。おなかがキュっとスパイスに鷲掴みにされるような感じです。実際にカレーを主食とするインドでは認知症の発症が低いそうです。体を温めることで脳内の血流も良くなり、認知症の原因と考えられている生活習慣病を予防し脳内物質ベータアミロイドの発生を抑える効果があるというわけです。

また、食事のほかにもお風呂にゆっくりつかるとか、寝る前にはスマホを見ないとか、心と体を直接的にあるいは間接的に温めることの重要性が書かれています。とにかく、現代人は忙しく、冷えやすいと。ゆったりと食事をしたり、入浴したり、散歩などの有酸素運動をしたりする時間が、何よりも病気の予防には必要なのだと思いました。

また、印象的だったのは、心の冷えを放置しない。ということ。

知らず知らずストレスが溜まっていたり、仕事が上手くいかなかったり、家族関係が不仲だったりと、こころの冷えを残してしまいがちですが、これも誰かに話を聞いてもらうとか、なんなら一人でダラダラと漫画を読むとか、おいしい食事と適度なアルコールでリセットするとか、心が喜ぶことを積極的に取り入れて、自分で自分の心を温めることも大切だと思いました。

香辛料の効いたつまみがあれば、なおよろし。ですね。

今夜はポカポカお風呂に美味しいごはん(やっぱりカレーなのか?)でリフレッシュしたいと思います。

 

2022年9月10日 読了

ロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々①灰色のノート』_感想

 

触発されて手を出してみた

文学作品を読もうと思うなんて、何年ぶりでしょうか。きっかけは先日読んだ「読書会という幸福」という書籍なのですが、本の内容に影響されやすいタチなので、文学作品が読みたくなって、いてもたってもいられずに手に取ってしまいました。

 

robobo.hatenablog.com

フランス文学が好きです

文学作品をあまり読んだことがないので、よくわからないのですが、学生のころに大学の図書館で借りて読んでいたサルトルやヴォーヴォワールが、やっぱり今も好きなので、基本的にフランス文学で描かれる人物像や考え方、男女の在り方などがフィーリングとして合っているのだと思います。

そんなわけで、初めての大作「チボー家の人々」の第1巻です。この白水ブックスの新書はとても良いですね。なんせ、1巻が分厚くないし、文字も小さくないので、これなら読めそうだと自信が湧いてきます。そして、あとからチボー家の人々が全13巻だということを知りまして、読み終えるのに何年かかるのだろうかと愕然としています。果たして最後まで読めるのか。どうでしょう?

みずみずしい少年たちの描写に引き込まれる

さて、第1巻の「灰色のノート」は、まさしく始まりの物語です。厳格なカトリック教徒の家に生まれ、地位も名誉もあるチボー家の二男ジャックと、プロテスタントの家庭で育つダニエルの友情と愛情、そして少年達の家出騒動と、それに対処する2つの家の人間模様が描かれています。

正直に言って、とても面白いです。そして、これが文学作品を読む醍醐味の一つだと思うのですが、情景描写がとても美しく、フランスのパリからマルセイユまで、少年たちの冒険のような家出騒動が映画のシーンを見るように楽しめます。

あ、本を読むってこういう感覚だったのかと思い出しました。

主人公のジャックとダニエルの淡い恋のような甘酸っぱい感じの青春の様子が素晴らしいですし、一方でダニエルの両親のテレーズとジュロームの夫婦関係の描写や、チボー家の面々と学校の神父たちの思惑など、読むだけで、当時のパリにトリップしたような気分になります。いやー文学って面白いんですね。

解説を読んで気づく味わい

文学作品、特に海外文学は翻訳者の言葉選びや表現に左右されることが多々あると思います。一つの作品でも色々な方が翻訳を出していて、まったく別の作品のように読めることもありますね。

本書は、翻訳家の山内義雄さんが14年かけて全訳した、とあとがきに書いておられ、まさに第2次世界大戦の戦前と戦後にわたって翻訳された大作です。フィクションを読んでいるはずなのに、なぜか時代や空間を越えてノンフィクションのように心に響いてくるものがあります。これも文学作品の魅力なのかもしれません。

また、店村新次さんが解説を書かれていますが、解説を読んでみて初めて気づいたことがあったりして、文学作品は、出来れば道しるべと言いますか、一緒に読んでくれる人がいたら、何倍も楽しめるのだろうなと思いました。

作者のロジェも翻訳家も解説者も皆さん亡くなっても、作品だけは、こうしてずっと読み継がれて、読んだ人に新しい感動を与えていることが、すごいことだと思います。

どこまで読めるかわかりませんが、気長に付き合ってみようかと思います。次のお話では、少年達はどうなるのでしょうか。楽しみです。

 

2022年9月5日 読了

池田清彦他『親ガチャという病』_感想

 

親ガチャという病

親ガチャというと、どこか諦めモードな響きがありますよね。本書では7人の識者が、それぞれの立場から見た令和の日本に漂う閉塞感を論じています。納得できるものもあれば、少し極端すぎるのではないかと感じるものもありますが、今の時代を鋭く分析しているという点では、大変面白く、示唆に富んだ内容でした。

まず、お一人目、土井隆義さんの「親ガチャという病」

若年層の自殺が増加している問題から親ガチャの流行が物語るもの、居場所の喪失、アイデンティティの揺らぎについて説いています。親ガチャという言葉からは自嘲的な経済格差をあざ笑う感じと共に、わざと軽く捉えようとしている心情がうかがえるといいます。そして、親ガチャで運命が決まってしまっている以上は努力しても仕方がないという閉塞感。

私自身は、あまり考えたことがありませんでしたが、確かに医者の子どもは医者になりがちだし、親の経済状況が子どもの学歴に影響するというのは、その通りだと思います。経済的なことよりも、もっとマインドといいますか、意識の面で親の影響を子どもが受けるのも事実です。しっかりしたお家の子どもは、やはりキチンとしている。先生が家庭訪問で見ているのは、この辺りなんだろうな、と思いますね。

いずれにしても、本書では、そういう小さな話ではなく、日本全体の親ガチャが流行する雰囲気と言いますか、その背景について分かりやすく論じられていますので、一読の価値ありだと思います。

無敵の人という病

続いて、お二人目は和田秀樹さんの「無敵の人という病」

これは最近、立て続けに起こっている拡大自殺から、それを引き起こす怖いものなしの無敵の人、そしてそうした行為を報道して模倣犯を生み出してしまうマスコミの弊害について論じています。無敵の人とは、絶対正義を信じている人。自分にとっての正義は他人にとっては悪かもしれない、ということに気づけない人のことだといいます。これまで日本では、学校の教育で解のない問いについて考えることをしてこなかったため、何でも答えは一つ、善か悪かの2択で判断してしまう傾向があると。確かに、そうかもしれません。どんな問題も、見る立場によって考え方も変わってきますし、答えも一つではありませんよね。

「日本人は、どんなものも相対的だという教育を受けていないし、議論をするという教育も受けていない。」著者の言葉が刺さりました。

ルッキズムという病

もうお一人だけ紹介したいと思います。香山リカさんの「ルッキズムという病」。

コロナ禍でマスクが当たり前になって素顔をさらすことに抵抗があるという若者の話と一方でインスタ映えなどSNSでキラキラ、モリモリにしてしまう心境について論じられています。この背景には、若者の相手ファーストの気持ちが隠れていると。自分がこうしたい、ということではなくて、相手がそれを望まないかもしれない、という視点で自分の行動を決めてしまう心情です。

著者は、絶対に誰も傷つけないことなど、本来はあり得ないといいます。避けようのないことを避けようとしているところに過剰な萎縮の根があるのではないかと。そして、この世情に風穴を開けるとしたら、例えばルッキズムの極致である「自分大好き」な新庄剛監督のような人の存在ではないかといいます。SNSの中だけの虚構の自分大好きではなく、リアルの世界での生身の自分大好きが、今の世の中には必要なのかもしれませんね。本当に自分のことを好きな人なんて、どのくらいいるのでしょうか。

そんなわけで、7人全ての紹介はできませんでしたが、どの方の論説も、現代社会の痛いところを突いていて、面白いです。答えが明確に出るようなものではありませんが、今の社会を客観的にみて、考えるということ自体が、私たちに欠けているものといいますか、気づかないものを気づかせてくれるプロセスのように思います。

よい勉強になりました。

 

2022年8月31日 読了

 

向井 和美『読書会という幸福』_感想

 

未知の世界の「読書会」

著者は翻訳家であり、とある学校の図書館司書をされている根っからの本好きの女性です。文章の書きぶりから受ける印象は、サバサバとしたオバさま、という感じでしょうか。

本書の中でも書かれていますが、幼少期に育った家庭で両親の仲が悪く、子どもだった著者は現実逃避として読書にのめりこんでいったとのこと。現実逃避のための読書という感覚は、とてもよくわかります。昔、ネバーエンディングストーリーという映画があって、主人公がいじめっ子から逃げて、学校の物置のようなところで一心に読書にふけるうちに、本の世界に入り込んでしまうというお話がありましたが(原作はミヒャエル・エンデの名作ですね)、子どもの時に誰しもがそういう現実逃避の読書をしたことがあるのではないかと思います。残念ながら、大人になった今は、そういう読み方ができなくなってしまったように思います。

本書では、著者が30年以上にわたって続けてきた読書会でどんな本を読んできたのか、本のあらすじや感想と共に読書会の様子が紹介されています。読書会という未知の世界を覗かせていただいている気分で興味津々に読み進めることができました。

読書会は色々なスタイルがあるようですが、著者の会は、課題図書を決めて、それを読んで1か月に1回集まって感想を言い合うというもの。本の感想を他の人と共有することで、そんな見方もあったのか、とか、ほかの人はここをこういう風に読むのか、と新しい気づきが得られて、本を何倍も楽しめるとのことです。読書会という、未知の世界に断然興味が湧いてきます。

文学を読む楽しみ

著者の読書会で扱うのは、外国の文学作品です。一人ではなかなか読了できないような骨のある作品こそ、読書会で読む意義があると著者はいいます。一人では挫折してしまう大作も、一緒に読む人がいると思うと最後まで読めるようです。確かに、文学作品というのは、他の本とは違って、消化するのに時間がかかりますよね。いつか読みたいと思いつつ、いつまでの読めないのが文学作品のような気もします。

本書の中でも読書会で取り上げた色々な文学作品が紹介されていますが、巻末に読書会の課題本リストが紹介されており、自分も読んでみたい、と思う作品ばかりです。そして、自分一人ではおそらく読み終えられないだろうな、と思う作品ぞろいなのです。

少しだけリストから紹介しますと…

 チボー家の人々

 ジャン・クリストフ

 失われた時を求めて

 カラマーゾフの兄弟

 …

どれも聞いたことありますし、「失われた時を求めて」といえば紅茶にマドレーヌ浸してたべるやつ、という、もはや憧れの未知の世界です。

読書会に参加してみたくなる

そんなわけで、大いに触発されましたので、久しぶりに文学作品の読書に挑戦しようかな、と思っています。ですが、おそらく読了できずに終わると思いますので、どこかに参加できそうな読書会があれば、一度行ってみたいです。

読書は自分一人でできる楽しみですし、読むことで自分の内面を深く考えるきっかけにもなるため、とても個人的なことだと思っていましたが、こうして本を通じて人とつながる世界もあるのだな、と思いました。同じ本を読んで、同じように感動した人となら、なんだか色々なことが話せるように思います。そういう深い会話をする機会というのは、大人になるとほとんどありませんよね。学生のころに友人と語り合った時間がいかに大切なものだったのか、今になって気づく感じです。

著者の言う、読書会の幸福も、そういう部分にあるのでしょう。なんとも、贅沢な幸福ですよね。私も、そんな風に人とつながれる時間を求めて、さて、まずは図書館にでも行きますか。

 

2022年8月25日 読了

 

 

 

竹内 薫『怖くて眠れなくなる科学』_感想

気軽に触れる科学

眠れなくはなりませんし、そんなに怖くもありません。逆に、気軽な読み物として、頭を使いすぎることもないので睡眠前のベッドのお供にちょうど良い本です。

書かれたのが2012年と少し古いので内容も今の科学から見ると物足りないところがありますが、小学生くらいでもサクサク読めると思いますし、科学やテクノロジーにアレルギーがある方も気軽に手に取りやすい内容です。

本書で紹介されている科学のエピソードを入り口にして、もう少し詳しく知りたいな、と思わせられるので、そういう点では作者の意図が成功しているように思います。

本当は大切な「恐怖」という感情

プロローグで触れられているのは、「恐怖」という感情について。

恐怖は大きなストレスになるので、私たちはなるべく恐怖や不安を感じずに生きていきたいと思っています。嬉しい感情はすぐに忘れてしまいますが、恐怖体験や悲しい気持ち、不安や怒りは長く私たちの中に残ってしまいます。これは、生物が危険から身を守るために「恐怖」をきちんと覚えておくことが大切だったからにほかなりません。

夏になるとホラー映画がみたくなる、お化け屋敷に入ってみたくなる、肝試しをしたくなるなど、ドキドキして心拍数を上げたくなるのは何故なのでしょうね。日常生活ではなるべく平常心で過ごしたいと思っているはずなのに。

本当の恐怖は味わいたくないけれど、安全な場所から恐怖を疑似体験したい、そういう欲求があちこちにあるように思います。人の不幸を見て、不幸ではない自分を感じて安心するのと少し似ていますね。

ギロチンは痛みを最小限に抑える処刑方法だった

本書では、たくさんの科学エピソードが紹介されています。ブラックホールなどの宇宙にまつわるものや、地震や火山に関すること、人の体に関することなど、知っているようで知らないことが意外とたくさんあって、面白く読めました。

なんだか雑学が増強されたような気がします。

そして、その時代その時代の科学者たちが、世界をよりよくするために解明されていない科学という謎に挑んでいたことが分かりました。今となっては古い知識もありますが、それすらも、たくさんの「発見」の積み重なりで明らかになったものであり、英知の探求というのは本当に奥が深いな、科学って面白いなと思いました。

たまにはスマホを置いて、枕元に軽めの本を。頭と心に栄養を。

 

2022年8月13日 読了

 

佐々木正人『知性はどこに生まれるか ダーウィンとアフォーダンス』_感想

 

アフォーダンスとは

アフォーダンスは英語のアフォード(与える、提供する)から生まれた造語で、「環境が生物に提供するもの、用意したり備えたりするもの」であり生物の行為の資源になること、と説明されています。本書を読むまでは何のことなのか理解できなかったのですが、読後はそういう見方があるのか、と目からウロコが落ちた感じになりました。

タイトルの「知性はどこに生まれるか」の答えは、脳の中や心の中ではなくて、生物と環境の相互作用の連続の中に生まれるもの。かと思います。それを観察の中から最初に発見した人がダーウィンでした。

ダーウィンは、種の起源や進化論で知られている生物学者ですが、本書では、ダーウィンは心理学者でもあったという側面を紹介しています。生き物が何故、その行為をするのか、なぜ環境によって行為が変わるのか、これまでは遺伝であるとか本能であるとか考えていましたが、もっと根源的なところにある生物をとりまく環境が行為のトリガーになっているということに気づいた人がダーウィンでした。本書には、これまで知らなかったダーウィンの凄さが色々と書かれています。

ぼくらが生き続ける理由はぼくらの中にはない

例えば、私たちが死ぬときを考えてみると、交通事故にあうとか、高いところから転落するとか、病気になるとか、寿命が尽きるとか、死因は色々とありますが、その原因は外的なものです。自殺をしようと思う意思は内的なものかもしれませんが、生物として死ぬためには、物理的な外的な影響(溺れるとか、出血するとか、息ができないとか)がないと死ねません。同じことが生きることにも言えて、私たちが生物として生き続ける理由は私たちの中ではなくて、外側にあるのです。

本書では、ダーウィンの実験でミミズの観察が紹介されています。ミミズは脳を持ちませんが、皮膚が感覚器官として外の様々な刺激を感じ取っています。ミミズは乾燥に弱いので土の中に穴を掘って暮らしていますが、乾燥しないために穴の入り口をふさがないといけません。ダーウィンはミミズが葉っぱのどの部分を使って穴をふさいでいるかを観察しました。すると不思議なことに、多くのミミズがもっとも効率良く穴をふさぐことのできる部分を使っていることが分かりました。それは反射でもなく記憶でもなく試行錯誤でもない、環境の何かがミミズの行動を決めている、ということに気づいたダーウィンは、これが知能ではないかと考えたのでした。

本書では、他にも様々な現象や感覚について、周りの環境が及ぼす行為への影響を紹介しています。あらゆる行為は、それが植物であっても動物であってもアフォーダンスに動機づけられて始まります。生きている限りはずっとに環境に刺激を受け続けて、行為をしているわけで、そこには正しさも誤りもなくただ結果があり、次の刺激があります。著者は、行為の正誤が分かるのは人間が作り出した人工的なカテゴリーの中だけだといいます。

自己はどこにでもある 

では、私たちが知性と呼んでいるものは、行為の連続の中のどこで生まれるのでしょうか。私たちが何かをするときには、それをする「意図」があります。著者は、環境に刺激されて行う行為の瞬間瞬間に「知覚」が生まれて、それがまた環境に刺激されて次の行為が始まるといいます。この連続の瞬間瞬間に意図が生まれているのだと。ですから、私たちの「考え」というものは行為の中のどこにでもあって、もっと大きく言うと環境の中のどこにでもあると著者はいいます。

ちょっと分かったような分からないような感じですが、なんとなく分かります。自分の中にあるのではなくて、自分の外にあるものによって引き出されているという意味かと思います。

ということは、日々の活動の中で自己が認識されて環境との関わりの中に知性が瞬間瞬間に芽生えているということでしょうか。赤ちゃんの様子を見ると、この見方も合っているように思います。赤ちゃんの時期は発見による成長の連続ですよね。

実は、私たち生物は死ぬ時まで発見による成長をしているのかもしれませんね。そんなことを分かったような分からないような感じで考えてしまう本でした。読み物としてもダーウィンのことやアフォーダンスを提唱したギブソンのことが良く理解できて面白かったです。まだまだ知らない新しい世界があるなあ、と感じました。

 

2022年7月29日 読了